横浜美術館 企画展『石内都 肌理と写真』、コレクション展

2018/01/24(水)

インスタからひっぱってきたもの

 

横浜美術館へ🚶‍♀️企画展『石内都 肌理と写真』、コレクション展『全部みせます!シュールな作品』鑑賞(感想)メモです

展示タイトルにもあるように、作品の多くで全体的に「肌」や「皮膚」を連想させます。はっきりと肌を写したものもあれば、剥がれ始めた建物の壁紙だったり、絹の着物であったり、母親や画家フリーダ・カーロの遺品、広島の被爆者たちの衣服など…しかしどれもが赤ん坊の肌のようにつるりと綺麗なものではありません。シワがより、汚れが付着した「皮膚」からは時間の経過を見ることができます。歴史といってもいいでしょう。
「肌」や「皮膚」は、身体の内と外を隔てる薄い皮であり、壁紙や着物や遺品の数々は外部と内部を隔てる人の「皮膚」の延長にあります。
皮膚が剥がれたり傷つけば痛いし、老化することで治癒は遅れたりもします。例えば一旦剥がれ落ちた皮膚は細胞が死ぬので元に戻りません。石内都さんの作品はそういう身体から剥がれ落ちた皮膚のような写真です。もう元の身体を覆うことはできないから、朽ちていくしかない。でも身体の一部だったもの。だからそれがはっきり傷跡を写した写真でなくとも、痛みを感じずにはいられないのです。
皮膚の内側は個人(パーソナル)であり、外側は他人や社会(ソーシャル)です。その隔たりがあるからこそ、個人はどこまでいっても個人であり他人になることはできず、他人の気持ちを完璧に理解することもできません。それでも寄り添っていたい、あなたを理解したい、そういう気持ちが特に現れているのが、母の死と向き合うために撮影された〈mother's〉だったと思うのです。

やっぱりフリーダ・カーロや広島の被爆者の遺品を撮影したシリーズの存在感が大きいのですが、デビュー作でもある『絶唱、横須賀ストーリー』も良かったです。(こっちはコレクション展としての開催) 作家自身がいつまでも馴染むことのできなかった土地として、1976,7年の横須賀が写されています。日本の街路の風景の中に突然英語の看板が現れる異物感は結構物々しいです。今でこそ当たり前の風景ですが。

コレクション展も膨大な量でメチャクチャ面白かったです!!イヴ・タンギーポール・デルヴォー(青がきれいで大変良い)や瑛九や…………石内都展、コレクション展共に3/4(日)まで🚶🏻🚶🏻